
どうも、デカール愛好家の皆さん!今月は、アンロックできる歴史的なマークを、新たなデカール5つと、過去イベントから復刻したデカール5つを用意しています。今回は比較的多くの碑文が含まれており、過去の月間デカールではこれらの数が少なかったため、バリエーションを増やすために追加してみました。各国家のデカールを試していただき、気に入ったものをコレクションに加えていただければ幸いです!
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8月8日(金)20:00(JST)から9月8日(月)18:00(JST)まで、下記のデカールを獲得可能です。
各タスクは、ランクIII以上の兵器を使用することで達成できます。
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新デカール

イタリア 第106 BTグループ「スネールボンバー(Snail Bomber)」のマーク
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ソ連 掌帆長スペシャリストの記章
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イタリアの航空機を使用して、敵プレイヤーを20回撃破する | | ソ連の艦艇を使用して20,000ダメージを獲得する |

アメリカ 碑文「ママ・キャス(Mama CAS)」
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中国 碑文「功臣号 I」
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スウェーデン 碑文「スレイプニル(Sleipnir)」
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アメリカの航空機を使用して、1~3位でゲームを3回終える | | 中国の地上車両を使用して、敵プレイヤーを60回撃破する | | スウェーデンの軽戦車を使用して、敵プレイヤーを40回撃破する |
碑文「ママ・キャス(Mama CAS)」
アメリカ空軍第175航空団のトーマス・ハリット(Thomas Harritt)のパーソナル碑文です。1980年代後半、アメリカ空軍内におけるノーズアートの規制が緩和され、パイロットは機体に個人用のデザインを自由に塗装できるようになりました。この運動は主に、第二次世界大戦の遺産を保存し、新米パイロットに先人の慣行を模倣させることで、継承された使命感を植え付けることを目的としていました。第175航空団はこの復興の先駆者であり、トーマスと同期のパイロット、ジム・チャホロフスキー(Jim Czachorowski)がほとんどのノーズアートを手がけました。最初のデザインには、苦情があった場合でも除去しやすいテンペラ絵具を使用していました。彼らが作成したピンナップとマーキングは、パイロットの士気と誇りを劇的に高め、この慣行を1990年代まで復活させるのに貢献しました。トーマスが適用したこのステンシルは、彼のA-10ウォートホッグの機首にやや角度をつけて、コックピットのすぐ前に配置されていました。
碑文「スレイプニル(Sleipnir)」
スウェーデン軍、イェムトランド野戦歩兵第5連隊の碑文「スレイプニル(Sleipnir)」。スレイプニルに関する記述は13世紀から始まりますが、その起源は数百年前のヴァイキング時代まで遡ると言われています。北欧神話では、スレイプニルはオーディンの8本足の馬であり、すべての馬の中で最も速く、最も強力な馬でした。また、死後の世界に霊魂を導く存在としての役割も担っています。この連隊は神話にインスパイアされた碑文で知られており、神々や伝説を頻繁に参照していました。興味深いことに、このマークはネガティブスペースで塗装されており、この媒体ではほとんど使用されない活版手法です。皮肉なことに、これがより目立つ要因となっています。この碑文は、連隊が運用していたCV9040A車両の砲塔の左側面に塗装されていました。
第106 BTグループ「スネールボンバー(Snail Bomber)」のマーク
イタリア空軍の第106 BTグループ「スネールボンバー(Snail Bomber)」のマーク。あまり知られていないマークで、1940年の南イタリアで少なくとも1機の航空機に塗装されていたことが確認されています。このマークは、空からカタツムリが爆弾を投下しているところを描いており、殻の中には銃手が完備されています。興味深いことに、第107グループのマークも非常に類似しており、カタツムリの代わりにカメが描かれています。このマークに関する歴史的資料は限られていますが、どちらの生物も足は遅いが、防御が固いところから採用されている可能性があり、爆撃隊としては非常にマッチしたデザインだと言えます。また、この時代のイタリアの爆撃隊は、「亀の甲羅」模様のカモフラージュを航空機に採用することが多く、この甲羅部分は両生物が共有する特徴の一つでもあります。このマークは、Z.1007の尾翼に配置されており、シリアル番号の上部、そしてカタツムリの頭部が機体の後方に向けて塗装されていました。
碑文「功臣号 I」
PLA(People's Liberation Army:中国人民解放軍)の碑文「功臣号(功臣號)」。1945年に、中国人民解放軍は2両の九七式中戦車改を鹵獲し、これらを101と102と名付けました。修理中に101が妨害工作の被害に遭い、102のみが運用できる状態で脱出することができました。102は中国人民解放軍にとっての初の戦車となり、この戦車の戦闘の歴史の一部は曖昧であるものの、軍にとって非常に有効な戦力として認識されていました。1948年までに、軍は追加の戦車を複数獲得しましたが、102は依然として最も気に入られていた戦車であり、「老頭戦車(老头坦克)」の愛称で呼ばれていました。この戦車が非常に活躍した最後の戦いの1つで、碑文にもある「功臣号(功臣號)」の称号が与えられ、「功績ある戦車」という意味が込められていました。この碑文は戦闘後、車体の側面に塗装され、さまざまなパレードや新聞に載っている写真で確認できます。
掌帆長スペシャリストの記章
ソ連海軍の掌帆長スペシャリストのパッチ。1950年代半ば、海軍部隊内のさまざまな専門職に向けた複数のパッチが作成されました。これらの役割は、魚雷のメンテナンスを担当する電気工事士のような専門的な役割から、この掌帆長スペシャリストのように一般的な役割のものまで多岐にわたります。職務において、掌帆長スペシャリストは主に耐航性の維持を担っており、艦が効果的に整備され、安全に運用できる状態を保つ責任を負っていました。非常に一般的なデザインではありますが、その役割が記章に反映されており、碇に巻かれた鎖が安全性を表しています。また、着用者が任期を超えて勤務を続けた場合、パッチの外枠が金色にアップグレードされましたが、デフォルトでは赤と黒でした。この記章は主に肩章や海軍の記念品のみに限定され、1980年代から徐々に廃止されていきました。
復刻デカール

フランス 第4飛行中隊 GBA II/51の記章
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ドイツ 第400戦闘航空団第7飛行中隊の記章
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フランスの航空機を使用して、地上または海上目標を30回撃破する | | ドイツの戦闘機を使用して、敵プレイヤーを50回撃破する |

イスラエル ABIRの記章
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日本 第7高射特科連隊第3高射中隊の記章
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イギリス 第9機甲師団の記章
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イスラエルの地上車両を使用して、60%以上の戦闘貢献率でバトルを20回プレイする | | 日本の地上車両を使用して敵機を20回撃破する | | イギリスの地上車両を使用して15,000スコアを獲得する |
第4飛行中隊 GBA II/51の記章
フランス空軍第51攻撃爆撃航空団第2群第4飛行中隊の記章。第二次世界大戦時にフランスの飛行隊によって使用された記章の多くは、1910年代、20年代、30年代に作成されたものを受け継いでいました。翼が生えたカメの記章は、わずかな違いはありつつも、それらの中でいくつか見られました。例を挙げると、SAL 203、第39飛行中隊 RAO、BR.55などのバッジで使用されていました。GBA II/51は、1939年12月15日に編成され、わずか数か月間の活動の後、1940年4月15日に解散しました。この飛行隊は主にブレゲー 693を運用しており、翼が生えたカメは垂直尾翼に機体前方を向いた状態で配置されていることがありました。とはいえ、機体に配置されるのは比較的稀で、バッジに見られることの方が多かったです。
第400戦闘航空団第7飛行中隊の記章
ドイツ空軍第400戦闘航空団第7飛行中隊の記章。この記章は、ボトルロケットに乗ったミュンヒハウゼン男爵を描いています。この架空の人物は、自分の空想的な体験にまつわる奇抜な作り話を語ることで知られており、ロケット弾を搭載した航空機を有する飛行隊にはピッタリのモチーフでした。しかし、このマーク自体は依然として謎に包まれています。コメートの記章はほとんど写真に収められておらず、戦時中の写真も現存していないようです。この記章が初めて確認されたのは、1965年にイギリスが鹵獲していたコメートをドイツに寄贈し、ミュンヘンのドイツ博物館で展示した時でした。機体の改修と再塗装を行う際に、この記章が第7飛行中隊の象徴として選ばれました。この記章は一から創作されたのではなく、実際には何か元の資料から複製された可能性が高いですが、それを確認するのは困難です。他のコメートの記章と同様に、この記章はコックピット正面の、ノーズコーンの手前に配置されていました。
ABIRの記章
イスラエル国防軍「ABIR(騎士の意)」の記章。イスラエルの戦車に描かれた個人のマークというのは比較的珍しいです。何せ多くの場合、公式な中隊のマークでない限り、戦闘の前に目立たないようにするか完全に消す必要があるからです。このマークはヘブライ語で「騎士」を意味します。ほとんどの碑文では、「攻撃」「剣」「稲妻」といった力強い言葉を同様の角ばった書体で描きます。文字の上部には、初期モデルのメルカバ戦車に搭載された特徴的な機関砲が見られます。このマークは、1980年代のある時期にメルカバ Mk.2の後部の乗員用アクセスドアに配置されていました。
第7高射特科連隊第3高射中隊の記章
陸上自衛隊第7機甲師団第7高射特科連隊第3高射中隊の記章。この師団は1955年に第7混成団として発足しましたが、第7高射特科連隊が設立されたのはその後の1981年3月25日でした。第3高射中隊は、北海道の東千歳駐屯地を拠点とし、87式自走高射機関砲8両とさまざまなタイプの73式装甲車を有しています。サソリが中隊の記章として選ばれた理由は、地上で身を潜め、油断した獲物を正確な一撃で仕留めるという隠密で強力な性質を持つためです。また、サソリが針を構えた姿は、87式自走高射機関砲が湾曲した追尾レーダーを展開した姿にも類似しています。このマークは砲塔の両側と、発煙弾発射器のすぐ前の展開された下部ブロックに配置されていました。
第9機甲師団の記章
イギリス陸軍第9機甲師団の記章。このマークは第9機甲師団を象徴するものとして有名ですが、その起源は1930年代のイギリスのポロチーム「ジャイアントパンダズ(Giant Pandas)」のチームシャツに大きく描かれていたマークでした。第二次世界大戦勃発後、一部のチームメンバーが第1自動車機関銃旅団を率いた際に、旅団の記章としてポロチームのマークを選びました。1940年12月1日、第9機甲師団が編成され、指揮官として任命されたモンタギュー・ブロッカス・バローズは、かつて第1自動車機関銃旅団を指揮していたことから、そのマークを新たな師団の記章として選びました。1944年7月31日、第9機甲師団は完全な師団として実戦に投入されることがないまま解散しましたが、偶然にもこのことがおとなしい熊であるパンダのマークとの興味深いつながりを生みました。この記章は中核部隊のほとんどの戦車に見られ、車体前面下部と背面の装甲の隅に配置されています。
毎月のマークは、以下の手順にて確認することができます:カスタマイズ画面下部→タブ「月間デカール(Monthly Decals)」。1か月後、これらのデカールはそれぞれ該当するカテゴリーに移動されます。
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これらのデカールのタスクの進行状況は、プレイヤープロフィール→デカール→月間デカール(Monthly Decals)で確認することができます。ここで「進捗状況の確認(Track progress)」をクリックすると、格納庫から進行状況を確認することができます。
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それぞれの記章には詳細な説明がついてきます。この説明には、マークの歴史、デザイン、使用した兵器、該当する場合は史実では兵器のどこに配置されていたかなどが書かれています(一部の記章はバッジからとられたものであるため、すべてが該当するわけではありません)。これにより、史実に基づいた配置をお好みで容易に再現することができます。
8月のセレクションを気に入っていただけると幸いです。ぜひ皆さまのコレクションに追加して楽しんで下さい。また来月会いましょう!
The War Thunder Team