歴史の1ページ(8月)


今月の歴史の1ページでは、ソ連侵攻からフランス解放、イギリス空軍の勝利やクウェートの守備隊の英雄的な行動などの出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!


8月1日から8月31日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。



ボリス・コブザンは、ドイツ軍がソ連への侵攻を開始した時から第二次世界大戦に従軍し、1941年6月24日に初めて敵機を撃墜しました。コブザンはまさに体当たりの達人でした。彼はこの戦法を用いて敵機を4機破壊しながらも、自らは生存し続けました。コブザンが最後に体当たりを行ったのは、1942年8月13日スタラヤ・ルーサ近郊でのことでした。彼は数で上回る敵編隊と遭遇した後、頭部に被弾して重傷を負い、右目を失いました。この時の衝突により、コブザンは高度6,000メートルでコックピットから投げ出され、地表付近でなんとかパラシュートを開くことができました。彼は10か月間の入院を経て軍に復帰し、ソ連邦英雄の称号を授与されました。




下記手順により、9月3日(水)20:30(JST)まではタスクを完了しなくともゴールデンイーグルの使用によりプロフィールアイコンを直接購入することができます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(8月)



各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 下記手順にて、各日のタスクや詳しい説明、および全体的な進捗状況を確認できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(8月)



    カレンダー


    8月1日から8月4日まで


    クウェート橋

    1990年8月2日深夜、イラクはクウェートへの侵攻を開始しました。朝までに、イラク軍はクウェートの首都近郊まで到達しましたが、そこを守っていたのは慌てて武装したわずかな部隊のみでした。第35旅団は70号線にかかる橋付近でイラク軍と遭遇し、弾薬が尽きるまで数時間持ちこたえました。夕方までに、イラク軍はクウェートの大部分を制圧し、第35師団の残存兵、クウェート空軍、クウェートの指導者層、多数の民間人はサウジアラビアへ逃れました。

    8月4日から8月8日まで


    スパス=ジェメンスク攻防戦

    1943年8月7日から8月20日まで、赤軍はカルーガ州スパス=ジェメンスク近郊のドイツ軍を撃退するための作戦を開始しました。この作戦は成功し、ソ連軍部隊は戦線を40km押し戻し、500以上の集落を解放しました。

    8月9日から8月12日まで


    タルトゥ攻勢

    1944年8月10日、ソ連軍はエストニア東部の大都市タルトゥへ向けて攻勢を仕掛けました。作戦初日に、ドイツ軍の防御は崩壊しました。月末までに、赤軍はタルトゥの占拠に成功し、9月初頭にはドイツ軍の反撃を退けました。

    8月12日から8月16日まで


    ファレーズ・ポケット

    1944年8月中旬、連合軍はノルマンディーのファレーズ付近でドイツ軍部隊の大部分を包囲しました。ドイツ軍の撤退の判断が遅すぎたために、包囲を突破できた兵士はわずかで、残りの約5万人のドイツ兵は投降しました。

    8月17日から8月20日まで


    The Hardest Day(最も過酷な一日)

    イギリスがドイツからの平和交渉を断った後、ドイツ空軍は上陸作戦に備えるために、制空権を確保するように命令されました。1940年8月13日のアドラーターク(Adlertag)に、イギリス空軍の飛行場に対して大規模な攻撃を行い、その5日後には再び攻撃が実行されました。この2回目の攻撃は最大規模であったため、バトル・オブ・ブリテン全体において8月18日は「The Hardest Day(最も過酷な一日)」と呼ばれるようになりました。ドイツはその目的を達成することができず、イギリス侵攻を断念しました。

    8月20日から8月23日まで


    コゼリスク攻勢

    1942年8月22日、ソ連軍はカルーガ地域のコゼリスク近辺でドイツ軍の包囲を試みました。しかし、ソ連の戦術的ミスとドイツの制空権の優位性により、この攻勢は失策し、作戦は失敗に終わりました。

    8月24日から8月27日まで


    パリの解放

    オーバーロード作戦の成功を背景に、1944年8月19日、フランスのレジスタンスはパリで反乱を起こしました。8月24日、フランスのルクレール将軍率いる第2機甲師団の部隊は、アメリカ部隊の支援の下に都市に侵攻しました。数時間後、都市内部のドイツ軍の駐屯地は降伏しました。8月26日、シャルル・ド・ゴール将軍はパリで式典パレードを開催し、フランスの臨時政府の帰還を宣言しました。

    8月28日から8月31日まで


    エリニャ攻勢

    ドイツがソ連を侵攻した後、赤軍は長期間の間防衛に徹していました。1941年8月30日に初めて、赤軍は最初の攻勢作戦を実行し、スモレンスク地方のエリニャ付近にある突出部を制圧しました。この作戦は成功を収め、ソ連軍は強固に固められていた敵陣を突破し、占拠していた領土からドイツ軍を追い出すことに成功しました。この作戦に参加した部隊は、ソ連で初めて栄誉ある「親衛」の称号が授与された部隊の1つでした。



    The War Thunder Team